ハルニレはニレの木の中で最も大きく成長する種であるらしい。
厳しい冬を耐えるために樹皮は厚く固い。
ハルニレの巨樹の下で体を横たえ眼をつむり、木立を抜ける風がその広葉をそよがせる。
木漏れ日が、まだらに僕の顔をくすぐり、顔をなでるそのぬくもりは幼子に触れる母親の手に似ている。
雑踏と喧騒から隔離され、風も葉も木漏れ日も、1/fの揺らぎに支配されていた。
遠い樹齢に内包された世界。
意識に映し出される五感による知覚で認識された心の内的な主観世界が立ち現われる。
いつも僕を追いかけてくる雑事は、忘却の淵に沈んだ。
そよ風が森の香気を運ぶ。
良い林や森に脚を踏み入れると感じるこの香気は、フィトンチッドと呼ばれている。
エッセンシャルオイルの成分である。
腐葉土の臭気を消し去ってしまうから、良い林や良い森は、良い香りがする。
動くことのできない木々が、害虫や病原体などから自らを守るために、常に分泌している揮発性の高い成分である。
どういった訳か害虫を防除し細菌感染を予防するその成分は、人間にとってやさしく働くらしい。
アーシングと言う流行り言葉があるが、その意味は簡単に言えば「自然に直に触れる」というだけのことである。
砂浜を裸足で歩いたり、草原で寝そべったり、健康な木々に直接触れる。
ただそれだけで、アスファルトとコンクリートに囲まれて生活する我々の免疫力は飛躍的に高まるのだ。
森林浴が意味するところは、木々の香気成分を吸い込むことと言っても過言ではない。
フィトンチッドを吸い込むことによって、癌細胞などを食べてくれる免疫細胞のひとつである、ナチュラルキラー細胞の活性は、50倍近くまで高まってゆく。
しかもその効果は1か月近く続くといわれている。
結局のところ我々は自然から離れて暮らすことはできないらいしい。
勉強会で札幌に来た。
合間の数時間を利用してどうしても行きたい場所があった。
僕は間が悪い。
エゾオオカミは見られずじまいだ。
それでも北海道大学の植物園は一度訪れてみたい場所だった。
クラーク博士が発案した、日本で二番目に古い植物園。
スミス女学校(現北星学園)の創始者サラ・クララ・スミス女史がアメリカから持参した札幌最古のライラックが出迎えてくれた。
ハルニレ、イタヤカエデ、ミズナラ、ハンノキたちがつくるアーケードを抜ける。
バラ園はよく手入れされ、珍しい種こそ無いものの、美しくある。
バラらしい赤いノルディアより、白いシュネービッチェンの方が好みだ。
温室もすばらしい。
しかしやはり一番の見どころは高山植物園だろう。
ここまでよく手入れされた高山植物園は、見ごたえがある。
良い時を過ごせた。
デカルトは、物理的世界から分離したものとしての心的世界を論じた。
また、随伴現象説(ずいはんげんしょうせつ、Epiphenomenalism)では、心的哲学において、物質と意識の間の因果関係について述べた形而上学的な立場のひとつで、『意識やクオリアは物質の物理的状態に付随しているだけの現象にすぎず、物質にたいして何の因果的作用ももたらさない』とした。
樹齢200年のハル楡の下で、僕の心の内的な主観世界はイデアによって彼をとらえ、
僕の意識とクオリアは春楡の巨樹を年老いた語り部に変えた。
物理的世界が心的世界を支配するだけではなく、
心的世界は物理的世界とリンクし相互に影響を分かち合う。
今日、外は激しい雨だった。雨粒がアスファルトを急かすように叩いてはぜる。
ボタニカルと人がつながれるのであれば、人と人はもっと簡単にリンクすることができるはずだ。
遠方から、10年来恐怖心から麻酔を打てない患者さんが来られた。
心をリンクさせることができれば治療はうまく進む。
その行為自体が僕の心を蝕むことも多い。
10年ぶりに麻酔をして、神経を抜いた。
麻酔ができたことに、40の僕より少し年上の男性はうれし涙を流した。
診療が終わり、激痛から解放された彼は、久しぶりにジャンクフードが食べたいといった。
チキンナゲットは今は販売中止だ。
こんな診療がいつか、花弁の敷き詰められた小道を抜け、大樹へと続くことを信じて。