ゆり子はわらう。
泣いたようにわらう。
みんなで飲むと、僕はいたずらにゆり子に電話する。
「もう遅いし、お風呂入っちゃたし、行けたら行きます」。
でもゆり子は来る、きっと来る。子供が寝たのを見計らって。
ママチャリ立ちこぎで、一駅くらいすっ飛ばす。
そして、ゆり子はわらう。
泣いたようにわらう。
あなたをみてると思うのです。
人にはそれぞれに運命があるとしても、人を超えた宿命などありはせず。
皆が悲しみや苦しみを持ち合わせているとしても、だからこそ、その大小にはいくばくの差もないと思われ。
皆が皆、一様に辛いことを抱え込んで、それが誰より重く苦しいというバイアスに囚われていて。
自分の病ほどつらいものはなく。
家族の死ほどに、この破滅的な思いは、自分だけが経験したものだと錯覚する。
誰もが悲しみや苦しみ、怒り、ネガティブな感情を小さな箱にしまい込む。
箱がいっぱいになっても、押しつぶして小さな箱に押し込んでゆく。
そして押しつぶされているのが自分だと気づかずにいる。
ゆり子はきっと、そのたびに大きな箱を作っていけるひと。
辛くても、
ママチャリ立ちこぎでかっ飛ばす。
ママチャリ立ちこぎで一駅くらいすっとばす。
そしてわらう。
泣いたようにわらう。
あなたのその声が、僕には心地よいのです。